島国的な対応では間に合わない新型肺炎対策

(2020年2月15日、「情報屋台」)

新型コロナウイルスに対する日本の水際作戦は失敗に帰したようです。日本国内で渡航歴のない人たちの感染者がふえてきたからで、発生場所も全国に広がっています。

 

政府は、コロナウイルスの検査対象を、発熱かつ呼吸器の症状のある人に加えて、湖北省や浙江省の渡航・居住歴のある人や、そういう人と濃厚接触した人に限ってきました。しかし、実際には、こうした条件にあてはまらない人からも感染者が出ているわけで、検査対象を広げれば、感染者はもっとふえるものとみられます。

 

13日に日本記者クラブで会見した独立行政法人地域医療機能推進機構の尾身茂理事長は、日本は散発的な感染が拡大する「国内感染早期」になっているとみて、それに合わせた対応策をとるべきだと語りました。尾身氏は、WHO(世界保健機関)の西太平洋地域事務局長としてSARS(重症急性呼吸器症候群)対策を陣頭指揮した経験を持つ専門家です。政府は水際作戦へのこだわりをただちに変更すべきだと思います。

尾身氏は、現段階を「国内感染早期」とみて、重症感染者を早期に発見し、死亡者数をできるだけ少なくすることを目標として、医療体制を整えるべきだと提言。そのためには、ウイルス検査の能力を高めるだけではなく、「肺炎サーベーランス」が必要だとしています。これは、渡航歴などにかかわらず、これまでの感染例による新型肺炎の特徴を重視して感染者を見つけ出すことで、ウイルス検査よりも先行させるということです。

 

政府の水際作戦は、島国の日本としては、わかりやすい戦略ですが、当初から無理があったと思います。昨年12月に武漢で発生した新型肺炎は武漢から中国全土に広がり、中国から多くの観光客が日本に入ってきていました。ところが、政府は、武漢のある湖北省への渡航歴のある人の入国を拒否するという措置にとどめました。観光やビジネスへの影響を考えれば、やむをえなかったと思いますが、それなら国内での感染を前提にした対応策を考えるべきだったと思います。

 

厚労省は、いまもコロナウイルスの「診断基準」を「湖北省および浙江省の渡航歴」を軸にしています。しかし、国内での感染を前提に、肺炎などの症状から感染を疑う方法に切り替えておけば、感染者が転院を重ねることによる感染拡大のリスクを抑えることができたはずです。死者だけでなく重症者も出ていますが、新型肺炎では、という疑いを医師が持っていれば、病院での対応や治療法も違ったかもしれません。

 

新型肺炎の集団感染が起きているクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の対応は、感染症への対応の最悪の例として、世界中で長く語り継がれることになると思います。感染者が出たことがはっきりしてからも、食事やダンスなど船内での人々の交流を自由にしたこと、各船室に“隔離”したのちも、感染の可能性のある船員スタッフに食事の供給などのサービスを続けさせたことで、感染者との遮断が遅れました。

 

さらに全員の検査がいまだにできていないことは、日本の感染症に対する検査能力の乏しさを世界に伝えることになりました。持病のある高齢者の下船を認める措置を取りましたが、200人を超える感染者が出たところで、すべての乗員乗客を下船させて、感染のない環境で隔離する措置を取るべきでした。現状は、まるでコロナウイルスの培養器のなかに乗員乗客をとどめながら、発病した人を外に出すという実験をしているようなものです。船全体が汚染されていると考えれば、検疫のための期間も、ほとんど意味をもたないことになっていると思います。

 

日本政府の対応は、すべて後手後手に回っているように見えますが、す早い対応もありました。武漢にいる邦人をチャーター便で帰国させる措置は、世界にさきがけました。感染者の乗船が疑われたクルーズ船「ウエステルダム」の入港拒否の判断も早かったと思います。

 

この違いを考えると、政府は感染症という危機に対応することよりも、「外からの脅威を防ぐために果敢に戦う日本」という島国的というか愛国的な自画像に縛られてしまったのではないかという気がします。「安全な日本」という概念からはずれたクルーズ船は、横浜港に係留しながらも、WHOの統計上は、「その他」扱いで日本には入っていません。入国の手続きをしていないというのでしょうが、クルーズ船の感染者はすべて日本の病院で治療を受けています。世界からみれば、日本の感染者です。

 

尾身氏は会見で、現時点(13日)での対応として次のような施策を提案しています。

・現在の状況:感染の早期

・この時期の対応の目的:感染拡大の抑制及び重症感染者の早期発見、死亡者数の最小化

・感染が確認されれば、感染症指定病院に入院

・濃厚接触者:積極的に調査

・感染症指定病院:特に高齢者、基礎疾患を持つハイリスク者の死亡を最小限にする対策を中心にする。

・しかし、感染がさらに拡大すれば一般の医療機関(呼吸器感染症を診療する)でも治療

・軽度の人は自宅待機してもらう。

 

新型肺炎の致命率(致死率)は、これまでのところ2%台で、10%程度だったSARSに比べ毒性は弱いようですが、「重症化すると深刻」と尾身氏は警告しています。さらに感染が拡大した場合の「軽度の人の自宅待機」という提案は、こうした知見を踏まえてということでしょう。

 

尾身氏に限らず、感染症対策の専門家の意見は同じように思えますが、日本政府の認識と対応がこうした見方や提言に追いついていないように思えます。そのことがさらに日本国内での感染を広げることにならないか心配です。

(冒頭の写真は、手洗いの励行をよびかけるWHOの動画)

水際では止まらない新型肺炎の影響

(2020年2月2日、情報屋台)

中国湖北省武漢市で発生したウイルス性の新型肺炎などの患者は、中国だけではなく世界各地に広がり、患者数も日ごとに膨れ上がり、収束の気配は見られません。

 

WHO(世界保健機構)は、新型ウイルスによる「状況報告」を日々更新していますが、2月1日の報告によると、23か国に広がる感染者は11,953人で、前日に比べ2,128人増加しています。このうち98.9%にあたる11,821人が中国で、259人が死亡、1,795人が重症となっています。

https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019/situation-reports/

 

この日の報告では、フランスで医療従事者の感染、ドイツでの3次感染、日本で感染した人(中国人)が韓国で患者と確認などが、いずれも中国以外で初めての事例として記載されています。また、中国以外の「人から人への感染」として、日本のツアーガイド、タイのタクシー運転手などの事例が報告されています。報告には、新規感染者のうち湖北省の比率を出していますが、1日は64%で、感染が湖北省にとどまっていないことを示しています。

 

WHOの報告は、世界各国からの報告を集計するため、中国については中国政府の発表より1日遅れになります。中国政府が2日発表した数字は、患者の合計が14,380人で、死亡者は304人となっています。

 

今回の肺炎はコロナウイルスによるもので、2002年から03年にかけて中国と香港を中心に世界的に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)もコロナウイルスだったので、SARSとの比較は意味があると思います。SARSの患者数は約8,000人でしたから、患者数では、すでにSARSを上回りました。しかし、SARSの死亡者は800人弱で、致命率(致死率)が約10%だったのと比べると、今回は約2%です。症状が出ていなくても感染の可能性があるなど、感染力はSARSよりも強いようですが、いまのところウイルスの毒性はSARSよりも弱いようです。ただし、患者の中には重症の人も多く、ウイルスが毒性の強いものに変異する可能性もありますから、毒性については現時点では、ということになります。

 

日本政府の対応は

 

事実上封鎖され武漢市では、増加する患者に医療の対応が追い付いていないようですし、生活物資を手に入れるために外出するリスクを考えれば、日本政府がチャーター機を出して、帰国希望者を日本に戻す措置を取ったことは、適切だったと思います。しかし、8万円の航空運賃を取ろうとしたことは、「お金のない人は残れ」ということになり、「邦人保護」の緊急措置という意味からはずれています。批判を受けて全額公費負担に切り替えたのは、当然のことでしょう。

 

それ以上に問題だったのは、帰国した人は自宅に戻し、希望する人だけは政府が用意したホテルに宿泊してもらうという対応でした。実際には、家族への感染を恐れたのでしょう、ほとんどの人がホテル滞在を希望したため、「濃厚接触」となる相部屋になる人が何組も出ました。感染に対する危機感を持っていたのは、日本政府よりも武漢に滞在していた日本人ということになり、実際にも、帰国者から複数の感染者が出たことで、帰国者の心配の方が正しかったことを証明しました。結果論かもしれませんが、当初から宿泊施設で全員を「隔離」すべきだったわけで、日本政府の対応の甘さを露呈することになりました。

 

パスポートの発行を申請すると、5年間有効で11000円、10年間有効で16000円の手数料を取られます。その内訳は、都道府県の経費が2000円で、残りは国が受け取りますが、そのうち4000円が発行に伴う直接経費で、残りは年1000円ずつの間接経費(5年間で5000円、10年間で10000万円)だそうです。この間接経費が邦人保護に充てられるものだと外務省は説明していますが、今回のような緊急事態に使うことを想定していないとすると、いったい何に使っているのかと言いたくなりますね。

 

こんな話を持ち出す気はなかったのですが、こうしたちぐはぐな対応を決めているのは、現場の声も聞かずに事なかれ主義で動いているトップの官僚たちでしょう。いまの政権の人たちは「自己責任」という言葉が大好きですから、官僚はこの言葉に縛られたのでしょう。お役人たちの政府への忖度ぶりと、一般の邦人への冷たい対応を見ると、公務員の仕事の第一は国民の生命、財産を守ることではないかと言いたくなりました。

 

経済への影響

 

武漢のように町全体が封鎖された地域はもちろん、ほかの地域でも人の移動が規制されたり、自主的に抑制されたりしています。生産面でも、武漢だけではなく周辺の都市にも操業停止の動きが広がっているようです。そうなると、新型肺炎の「アウトブレイク」(地域的流行)は、中国全体の消費や生産を低下させるとともに、世界的にも大きな影響を与えることになりそうです。経済的な影響のほうが「パンデミック」(世界的な流行)かもしれません。

 

SARSとの比較でいえば、SARSが流行した当時の中国といまの中国は大きく違っています。中国のGDPは、2002年から2019年にかけて約8倍になっています。2002年当時の中国の経済規模は世界第6位で、世界1位の米国の10%、2位の日本の35%でしたが、2018年でみると、米国の65%まで接近、日本の2.7倍になっています。

 

中国の消費が新型肺炎の影響で冷え込めば、中国にいろいろな財やサービスを輸出している国の経済も冷え込みます。また、中国は世界の工場として、世界から部品を調達して最終製品に仕上げて輸出していますから、中国の製造部門が落ち込めば、中国に部品などを供給している各国の企業にとっても大きな痛手になります。

 

「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」という言葉があります。環境のわずかな変化が世界的に大きな変動になる、というたとえとして使われた言葉ですが、いまの中国はくしゃみをすれば、世界中が風邪を引くような存在になっています。このところの中国経済の減速が世界景気の勢いを弱めている要因になっていましたから、ここで中国が大きく減速すれば、世界経済も落ち込むことになるでしょう。2008年のリーマンショックのような「コロナショック」が起きても不思議ではありません。

 

2002年と2003年の中国の経済成長率は、2002年が9.1%、2003年が10.0%で、グラフでみても、高度成長の真っ盛りで、SARSの影響は感じられません。感染が拡大した2003年第2四半期(4-6月)には、旅客業や小売業の落ち込みはあったものの、鉱工業生産や輸出への影響は少なく、GDPの成長率は少し鈍化した程度でした。高度成長の勢いがSARSの影響を飲み込んだのでしょう。

しかし、いまの中国は個人消費の比率が拡大しているため、新型肺炎による消費の落ち込みは経済全体に大きく影響します。また、武漢のような生産拠点の経済活動が大きく落ち込めば、中国全体の経済成長も大きく落ち込むことになるでしょう。日本のエコノミストたちは、今年第1四半期(1-3月)の中国経済を年率で6%程度の成長から4%程度の成長になると予測しています。しかし、このままの勢いで新型肺炎が猛威をふるえば、第1四半期だけでなく通年でも、4%程度の成長になるおそれもあるでしょう。

 

日本は、昨年10月からの消費増税で、直後から消費が大きく落ち込み、10-12月期のGDPがマイナス成長になるのは確実で、政府は、大型の補正予算によって今年第1四半期以降に回復するとしてきました。しかし、今回のコロナショックで、その期待は消し飛ぶおそれも出てきました。

 

明日は我が身

 

病院の廊下まであふれる診療を求める人々の群れ、人や車の出入りが途絶えた繁華街、というのが武漢のニュース映像です。ひっそりと家の中で暮らし、外に出るのは生活必需品の買い出しのときだけ、といった生活なのでしょう。ニュース映像で出てくる市民はみな「この困難に打ち勝つ」と語っていますが、家の中では、これからの暮らしがどうなるのか悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

 

日本政府は、武漢のある湖北省に滞在していた人の入国を拒むという措置を取ることにしました。日本での蔓延を防ぐには、こうした非情な措置も仕方ないのかもしれませんが、武漢からの人々を押し返しながら、「武漢加油」(武漢がんばれ)と、エールを送るというのも、割り切れない思いが残ります。

 

武漢を想いながら、カミュの『ペスト』(新潮文庫)を読み返しました。ペストの発生で町全体が封鎖された北アフリカの都市を舞台にした小説で、ペストは突然に現れ、突然に去っていきます。

 

小説では、ペストが発生すると、町の人々は戦争と同じように「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」と思うのですが、その期待は裏切られます。

 

天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり……

 

たしかに、今回のコロナウイルスも、為政者たちの大事にはならないという尺度とは一致せず、悪いほうに展開していきます。ペストは、やがて収束し、これに立ち向かった人々(ヒューマニズム)の勝利だと、読者としては思いたいのですが、不条理の作家は、次のような言葉で小説を結びます。

 

ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。

 

訳者の宮崎嶺雄氏は、ペストは、「あらゆる種類の人生の悪の象徴」として描かれていると、解説しています。コロナウイルスは、我がもの顔で地球にはびこる人類とう生物に対して自然界が襲う「パンデミック」の序章のような気がしますし、異常気象による台風や洪水は地球の秩序を破壊してきた文明に対する自然界の復讐のような気もします。私たちが「ペスト」や「コロナウイルス」に象徴される不条理と戦う日々に終わりはないようです。

(冒頭の写真はWHOのHP画像)

築地魚市場は豊洲で再生できるのか

築地の魚市場が10月6日の競りを最後に83年の歴史を閉じました。その夜、市場の周辺を歩きながら、朝日新聞に勤めていたころに、深夜まで飲み歩いた思い出に浸りました。有楽町に本社があった朝日新聞が築地に移ったのは1980年、以来、場内や場外の食堂、飲食店、喫茶店には、ずいぶんお世話になりました。

築地市場閉鎖についてのメディアの取り上げ方も、私が築地を散歩したのと同じような動機なのでしょう、ノスタルジー一色でした。しかし、涙の仲卸と、築地のしきたりである「一本締め」の場面ばかりを見せられると、あまのじゃくな私としては、これでいいのか、と言いたくなりました。築地魚市場がたそがれたのは、閉鎖されたからではなく、魚の流通が大きく変化したからです。そのことを指摘する報道が少なかったからです。

と思っていたら、8日付の朝日新聞の「MONDAY解説」欄に、「卸売市場 生まれ変われるか」と題し、やっと納得できる記事が掲載されました。それによると、80年代半ばの築地市場の水産物取扱量は年間80万トンに達したものの、商社や食品メーカーが市場を通さず安価な輸入加工品を直接仕入れるようになったり、産直販売やネット取引が広がったりした結果、取扱量は減ったことが示され、「市場は過去のものになりつつある」というスーパー業界の幹部の発言が記述されていました。

東京都の統計によると、2017年の築地市場の取扱量は38万トンですから、最盛期の半分以下になっているのです。つまり、築地で食べていける仲卸の数は、最盛期の半分ということで、実際、築地市場の水産物の仲卸業者数は1989年に1080社だったのが2014年には651社まで減っています。上記の記事では、水産物の総流通量のうち、全国の中央・地方卸売市場を経由した比率を示す「市場経由率」は、70~80年代に7~8割台だったのが今は5割台まで低下している、と書かれています。

築地市場の場内にある仲卸の店は、鮮魚店や料理店などのプロが買いに来るところでしたが、午前10時以降などの制限をつけたうえで、一般の人たちも買うことができるようになっていました。これは仲卸を救済するための方策で、仲卸のなかには、「昔は、プロの人たちとの相対取引だったので、魚に値札をつけることはなかったが、このごろは“しろうと”にも売るため、値札をつけるようになった」と、嘆いている人もいました。

漁業者―産地市場―産地仲卸―消費者市場(卸売業者)―仲卸-鮮魚商―消費者という流通の流れは仲介者が多く、生産者である漁師は、自分が売ったときの値段に比べて、鮮魚店でみる魚の値段が高いのに驚くというよりは、あきれていました。そんな流通の流れを合理化してきたのが大手スーパーです。産地市場の仲卸と組んで、産地から直接、仕入れるようにしたのです。品ぞろえを整えるために、築地のような中央卸売市場からの仕入れルートを閉ざしたわけではなりませんが、消費者市場を中抜きして価格を下げようとしたわけです。

こうした流通合理化の流れは、ネット時代に入って、さらに加速しています。ネット通販のアマゾンのページを開いたら、ちゃんと鮮魚も売っていました。単品で買うことができるのはマグロやカニなどに限られていますが、ネットを利用することで、消費者市場を中抜きして、産地と消費者を結ぶ役割を果たしています。アマゾンだけでなく、「サンマ」「通販」で検索すれば、北海道や三陸から「直送」で、サンマが買えるチャンネルは大きく広がっている時代なのです。

そう考えると、築地市場の1.7倍の敷地面積に開設される豊洲市場の将来性が気になります。上記の記事では、新しい設備によって、温度管理や衛生管理を強化して、輸出にも耐える品質の向上をめざす豊洲市場が紹介されています。

こうした豊洲の努力は評価されるとしても、流通の合理化という根本は解決されていないというか、そのことを突き詰めれば、消費者市場の存在が問われるということに、豊洲はどれだけ真剣に向き合っているのか疑問です。

全国の産地市場に水揚げされる魚と、全国に散らばる鮮魚店や飲食店などとのマッチングをいかに効率よく行うか、という課題を出せば、現在のネット技術を駆使した方法は、豊洲のような現実としての消費者市場ではなく、仮想空間としてのバーチャル魚市場でしょう。

仲卸の店で、いちばんだと思う魚を仕入れて、お客に出す高級料理店やすし店にとっては、築地も豊洲も必要でしょうが、そんな目利きができない店は、それよりも鮮度を重視して、これからも産地との直接取引をふやしていくでしょう。豊洲のたそがれは、思っているよりも早いのではないかと思います。魚のテーマパークとして、築地が再生されるのなら、そのほうが将来性もあると思いますが、その姿は流通のかなめとしての魚市場ではなく、観光のかなめとしての魚市場でしょう。

築地魚市場を観光の対象ではなく社会人類学の対象としてとらえたハーバード大学のテオドル・ベスター教授は『築地』(2007年、木楽舎)のなかで、築地の取引を、その社会的・文化的コンテクストから切り離すことはできないとして、経済環境の変化を築地にかかわる人々が文化も含めた対応で乗り切ってきた歴史を評価、次のように述べています。

「市場という場は、果てしない自己再生サイクルを社会的に繰り返しているのである」

場外市場も含めた築地という文化空間から離れた豊洲という官製の場で、「自己再生サイクル」を回転させることができるのか、それが築地の終幕と豊洲の開幕に問われている課題だと思います。(2018.10.8 「情報屋台」、冒頭の写真は10月6日の夜、高成田惠が撮影した築地魚市場です)